これまでさんざ、君は現実的でない、空想的に過ぎる、地に足をつけていないなどと云われてきだが、どうにもこうにも、とうとうわたしは随分と生活を重んじるようになったと感じられる――というよりは、そうならざるを得なくなったというのがほんとうで、つまり、わたしは、年内には結婚をする予定の者である。ここに至るまでには諸々あったが、現在わたしはけっこう生きよう、質はともあれ量(?)、50くらいまではがんばって生きようと考えており、そのためには栄養が必要で、そのためには、わたしは酪農をやっているわけではないのだから、キャベツ、蓮根、たまねぎ、豚肉、トマト缶などを買わなければならず、そのためには金銭が必要で、だから、お金と栄養・寿命との最適な兼ね合いを探さなければならないというわけである。お金を賢く使わないことが、生存を一歩延ばすことになる。ということで、淡々と、あるいは坦々と葱を刻み、冷凍しているとどうしたって所帯じみてきて、それはそれで楽しくもあるのだが、ベッタリとした生活を送っていると、贅沢はできなくなる、というか興味すらなくなってくる。たとえば、政治。たとえば、哲学。たとえば、映画。まるで、そういうもの関心がもてなくなって、それよりも小麦粉であり、片栗粉であり、乾燥ワカメなんである。半径3メートルの世界がすべてで、それ以外はもはや贅沢、わたしには無縁の世界だ。1年前のわたしがみたら、あまりに寒々しい世界でいまのわたしは生きているのだが、いまのわたしはそんなに不愉快を感じてはいない。もっとも、それを成長と呼ぶことだけは絶対にしない。